Fragment 07
建国記念日
春分の朝、首都カルナリアはいつもより少しだけ早く目を覚ます。
窓を開けると、向かいの家の軒先に紺色の旗が出ている。
白い月模様のこの国の旗だ。
義務ではない。
それでもこの日は、旗を出す家が多い。
通りに出ると、すでに店の前が掃き清められている。
パン屋の主人が梯子に乗って旗の紐を結び直していた。
軒先には、祝いのパンが並べられている。
輪や結び目の形に編まれたもの、
小さな月の印を刻んだもの。
「今日は風が出るな」
下から声がかかる。
「旗日だからな」
主人は笑う。
春分の日。
建国記念日。
この国では、昔この日に境界が生まれたと言われている。
丘の上で、女神が祈り、水を注いだ。
そして見えない結界が立った。
そういう語りを、子どものころに誰でも一度は聞く。
もっとも、神話を本気で信じている人は多くない。
それでも、この日は特別だ。
街は少しだけ静かに賑わう。
屋台が出て、焼き菓子の匂いが漂い、
子どもが小さな旗を振っている。
そして、もう一つ。
この日だけ見られるものがある。
***
昼前になると、人々は自然と聖堂前の広場に集まる。
広場の端に、軍の列が整えられている。
その隣に、もう一つの列がある。
紺色の軍服。
「あれだ」
誰かが小さく言う。
魔術師隊だった。
普段、この人たちはほとんど姿を見せない。
仕事は結界の観測や調整で、街の外側にあるからだ。
だからこの日だけは、皆つい見に来る。
どれが隊長だろう。
何人出ているだろう。
そんなことを言い合いながら、人々は広場の縁に並ぶ。
やがて国王が広場に現れる。
派手な行進はない。
静かな儀礼だ。
楽団の音が止み、
ざわめきがすっと落ちる。
魔術師の列から、一人が前へ出た。
隊長だった。
紺色の外套が春の風に揺れる。
彼は国王の前で足を止め、
静かに一礼する。
そして顔を上げる。
声は大きくない。
しかし広場の端まで届いた。
「本日、建国の日にあたり、
首都魔術師隊を代表し、ここに誓う。」
広場は静まり返っている。
「我らはこの国の境界を守り、
見えぬ結界を保ち、
人々の暮らしの静けさを支える。」
旗が風に鳴る。
「我らの力は国家のために用いられ、
この土地と、その営みのために置かれる。」
彼の声は変わらない。
静かで、簡潔だった。
「昼と夜が等しく交わるこの日に、
結界の位相を整え、
この国の空と大地を再び結び直す。」
広場の人々の多くは、言葉のすべてを理解しているわけではない。
それでも、聞いている。
「ここに宣する。
首都魔術師隊は、
この国の境界を守り続けることを。」
言葉が終わる。
隊長は再び一礼した。
一瞬の静けさのあと、
拍手が広場に広がる。
紺色の布が風に揺れる。
***
式は長く続かない。
魔術師たちはやがて列を整え、
広場を離れていく。
「もう戻るのか」
誰かが言う。
「夕方に結界を調整するんだろう」
そうだろう、と皆うなずく。
建国の日は祝日だが、
彼らにとっては仕事の日でもある。
***
午後になると広場はまた賑やかになる。
屋台。
音楽。
子どもたちの旗。
魔術師の姿はもう見えない。
それでも人々は思う。
昔、丘の上で水が注がれ、
この国の境界が生まれた。
そして今も、
どこかであの人たちが
その境界を静かに整えているのだろうと。