Fragment 30

東の商人

 港は、朝から乾いた音で満ちていた。  箱が積まれ、縄が引かれ、声が行き交う。  カルナリアの商人は、帳面を閉じて顔を上げた。  対岸から来た船が、静かに接岸する。  東の国の商人は、降りる前から手を振っていた。  「遠いところを。いやあ、いい港だ。風がまっすぐだね」  足場に軽く乗り、距離を詰める。  言葉と一緒に、身体も前に出る。  カルナリアの商人は、一歩だけ引いて、止まる。  「……無事で何よりです」  声は小さい。  だが、揺れない。  荷が開かれる。  薄い布。金属の細工。瓶に詰められた液体。  東の商人は、ひとつを手に取って、光にかざす。  「これね、見た目より軽い。触れば分かる。ほら、どうぞ」  差し出す。  距離は、もう半歩分、近い。  カルナリアの商人は、受け取る前に一瞬止まる。  指先が、触れる。  確かに軽い。  だが、それだけではない。  「……規格は」  帳面を開く。  東の商人は、すぐに応じる。  「そこ、気になるよね。数字で言うとこう。でもね、数字より“持ったときの抜け”がいい。ほら、さっき感じたでしょ」  言葉が、先に届く。  感覚をなぞるように。  カルナリアの商人は、ページをめくる。  指は止まらない。  「……輸送時の変化は」  「そこも見てる。温度差で少しだけ鳴る。でも、それがいいんだ。完全に静かだと、死んでるみたいでしょ」  笑う。  声が、場に広がる。  カルナリアの商人は、顔を上げない。  「……品質は、一定が望ましい」  短い。  線が引かれている。  東の商人は、少しだけ肩をすくめる。  「分かる。そっちのやり方だ。でも今回は、揺れも含めて価値にしてる。だから、この価格」  数字を置く。  間を置かない。  カルナリアの商人は、その数字を見て、沈黙する。  周囲の音が戻ってくる。  縄が擦れる。木が鳴る。  「……量を減らせば」  言葉が出るまで、少し時間がかかる。  「いいね、それ。じゃあ半分。ただし、その分単価は上げる。こっちの手間が跳ねるから」  すぐに返る。  迷いがない。  カルナリアの商人は、指で帳面の端を押さえる。  「……変わらない」  「変わらない? ああ、単価ね。そこは変える。でないと合わない」  東の商人は、距離を保たない。  言葉も、間も詰める。  カルナリアの商人は、ようやく顔を上げる。  目が合う。  「……輸送は、こちらで持つ」  線を一本、引く。  東の商人は、一拍だけ止まる。  「なるほど。じゃあ、その分で調整する。いいよ、それでいこう」  すぐに笑う。  手を差し出す。  カルナリアの商人は、その手を見て、ほんのわずかに間を置く。  それから、触れる。  短い接触。  東の商人は、すぐに手を離す。  「いやあ、早かった。話が分かる人で助かるよ」  カルナリアの商人は、何も言わない。  帳面に印をつける。  風が、まっすぐに抜ける。  荷は再び積まれる。  距離は、元に戻る。  ただ、さっき触れた軽さだけが、指に残っている。
← back